もし全身全霊を尽くすことが
できさえすれば
あなたもタワシもきっと同じように
誰かのこころにふれることができるに違いありません
自分の全身全霊をかけ、自分の最高を引き出せている時、その瞬間とは
それは「自分」を越えて「なにか」の力を身にまとえている瞬間なのだから
そう、そして、それはどんなこと、どんな役でもかまわない
それが、たとえ生活の糧に直接結びついていようがいまいが関係ない
その場、その仕事、その役割に臨む時に、
それが自分の最高を引き出してくれる役目であるかどうか、
それだけを見つめればよく
それだけが大切なこと
なぜか?
それこそが
それだけが
いま
アナタの目の前の世界を変え、
自分を変えていくことにつながっていくことに
ほかならないからだ。
いま
ボクの声は、アナタに届いてますでしょうか?
たしかめたいんです。
いま伝えようとしていることが
とても大切なことだと思うからです。
すぐに壊れてしまうかもしれない
“とてもこわれやすく、はかなく、せんさいで美しいモノ“
を届けようとしているから
ちゃんと届けられるように
しっかり、そっと手渡すことができるように
ボクのコトバとアナタのコトバが
ズレていないかを
ちゃんとその前に、たしかめておく必要があるんです。
それはボクの責任であり役割です。
タイセツなことです。
もしボクのコエが届くのなら
アナタはきっと、ボクと同じ
決して器用ではなくとも
自分の人生の一切に手を抜けることがなく
全霊をかけて向き合っている人
に、違いないからです。
だから、そんな人には
ちゃんと分かっておいてほしいことが
あるんです
アナタが今、この世界にいて
アナタが今、この世界で生きていること、
それこそがすでに
それだけがすでに
コタエだということ。
それこそが、どこに行かなくても、誰に会わなくとも
誰のコトバをきかなくとも
すでに示されているコタエだからです。
アナタが今この世界にいれてること
それが
アナタが世界に愛されている、から
だということに、ほかなりません
ときどき
“人“だったり
“不運“だったり
“他のなにか“だったりが
アナタのココロに
曇り空をもたらそうが
そんなことは、どうでもいいんです。
いっさい関係ありません
気にする必要はありません
たいしたことではありません、
よくあることのヒトツかもしれません。
永遠に続く曇り空なんて
ありえないからです
自然の中において
これまで何億光年だって
永遠に曇り空が続いたことはありません
アナタがすべてに
この広い世界のすべてのことに、
両手で余ってしまうほどの
多くのことすべてに
器用になる必要なんてないんです
そんな必要はまったくありません
もうすこし
これから続いていく
この先の人生においては
もうすこしいくつかのことが
試される機会があることでしょう
それはアナタのココロに
長々と続く曇り空
ずぶ濡れになってしまう大雨や
ココロを恐怖で震わせる雷や
そんな多くのこと一時だけの一見災いに見えるようなのこと、を
もたらすかも知れません
ただ、それには、アナタが持っている貴重な才能や未来へのエネルギーだったりの、そのうちの多くを吸われるほどの価値のものなんで、ないんです。
ただ、
最期には
かならず、
晴れた日に
おさんぽでもしながら
「あの時はしんどかったね〜」とか
「あの時はタイヘンだったね〜」とか
感慨を思いめぐらせたり
笑顔で語り合いながら
晴れた空を見上げながら
おさんぽしていく日が
訪れてきてくれるのです
おさんぽしながら
お話しながら
“コタエアワセ“をしていく時がくるんです
それは“人生のコタエアワセ“です。
たのしい自分の人生のコタエアワセです、
晴れた日に
おさんぽしながら
自分の人生へのコタエあわせをしていく時が
くるんです。
そして、もう、
そのコタエも
はっきり決まっているんです
“すべては間違いない“ということ
おさんぽしているその時に、
アナタもタワシも
振り返りながら
こう思うんです。
“これまで自分がやってきたことは、間違ってなかったんだなー“
“これまでの、すべてが間違いなかったんだー“
“すべてが正解だったんだな”
“自分は自分で正解だったんだな“
“自分やってて良かったなー“って
そう、思える時が、必ず、くるんです
いや、そうじゃなかった。
その先には、
そう思う時だけが流れる時間がくるんです
どうしてもそうとしか思えないような時しか来なくなる
そうしかなくなる。
そう思える時しかない時間ばかりが訪れるように
そう思う時しかない時間の流れに、ただ漂っていれる、
そんな時が訪れてきてくれるんです。
もう少し、
あるいた先に広がる
おおきく明るい風景のおはなしです。