「“思い”と“ビジョン”」
理想家とは、この世界の救い手たちのことです。
大きな木が地中の大いなる根に支えられるように、
目に見える世界が目に見えない世界によって支えられているように、、
人類は、厳しい状況に直面しているとき、過ちを犯してしまったとき、また、耐え難い環境に従事しているときにも、孤高の理想家たちの美しい思いとビジョンによって支えられてきました。
ですから、人類は、奥底で、理想家たちのことを忘れることはできません。
理想家たちの思いとビジョン(アイデア)の灯火を色あせさせたり、失わさせたり、奪ったりすることは、決して、できないのです、。
かれらの思いとビジョン(アイデア)とは、全人類のハートの奥底に、ずっと絶え間なく流れ、在り続け、それらは決して、失われることも、失わせることもできません。
なぜなら、、、
人々は、心の奥底で、それらが、やがて現実となることを知っており、そして、それは実は、それぞれが自分自身のココロの奥底に、それらを持っていて、それが共鳴していることに過ぎないことを知っているからです、そもそも自分たちが“そこ”からやってきたということを “心の奥深くで、すでに知っている。” からです。
理想家たちは、次の世界の創り手であり、天国の建築家たちです。この世界が、こんなにも美しいのは、ひとえに、彼らが生きてきたからであり、人々の心の奥底に、それらと同じ理想が流れており、それが響きあうからです。もし彼らがおらず、人々が自分の奥底にひっそりと息を潜めように流れてる理想、思いとビジョン(アイデア)を思い起こせる術(すべ)がなかったならば、人類は遠い昔に生気を失っていたことでしょう。
気高い理想を掲げ、そのビジョンを見つづけている人間は、いつの日にか、それを現実のものにします。ブッダは、けがれのない美しさと完璧な平和に満ちた精神世界のビジョンを抱きつづけ、その中に進入していくこと、その方法を、瞑想という手段に通して伝えることを試みました。
理想を、、抱くことです。そのビジョンを、、見つづけることです。あなたが本当にやりたいこと、あなたの心を最高に輝かせるもの、あなたの心に美しく響くもの、あなたが心から愛することのできるもの、あなたが今回の生をかけて成し遂げていくべきことを、、それらを、しっかりと胸に抱くことです。
その思いのタネから、あらゆる喜びに満ちた状況、あらゆる天国のような環境が沸き起こり、生まれ始めてきます。そして、もしあなたがそのビジョンを見据え続けたならば、やがて必ずあなたの世界は、その上に築かれることになります。
人間は誰しも、願望を抱き、その達成をめざします。しかし、身勝手な願望を違成したとき、人間は真の喜びを手にできるでしょうか。また、清らかな願望の達成をめざしている人が、真に生活に困ったりすることがあるでしょうか。いや、そんなことは絶対にありえません。あなた自身を、あなた自身の生を、この世にもたらした「自然の法則=原因と結果の法則」が、けっしてそのようには機能するわけはないのです。
気高い夢を見ることです。あなたは、あなたが夢見た人間になるでしよう。あなたの理想は、あなたの未来を予言するものにほかなりません。
夢は現実の苗木です。この世界でこれまでに違成された偉大な業績のすべてが、最初はたんなる夢にすぎませんでした。樫の木は、しばらくのあいだ、ドングリのなかで眠っています。鳥たちは、しばらくのあいだ、卵のなかで待っています。
そして、ワタシたち人間の美しいビジョンのなかでは、それを実現させようとして、今も天使たちがせわしなく活動してくれています。まだ現時点のあなたの環境は、あなたにとって好ましいものではないかもしれません。でも、もしあなたが理想を抱き、それに向かって歩きはじめたならば、いま目の前のそれらの状況のすべては、もれなくすべてが、その場所、そこ、を築くための材料、その道、それ、その理想に向かうための、追い風にかわります。理想の内側を旅しながら、その外側に立ちつづけることなど、誰にも絶対にできないことだからです。
むかし、あるところに悩める者がおりました、現状や目の前の出来事は、まだまだ追いついてはこないものの、その者はいつも、すべてにとってより善い世界・人生、すべてがより大きな思いを持って歩み続けること、を夢見て日々を重ねておりました。そして、すこしずつですが、その大きなビジョンに向かって、けっして歩みを止めることをやめませんでした。
そうしてると、その者の目の前は、これまでの場所・状況にはそぐわない状態へと変化しそうなってくるでしょう。そうしたら、いったいどんなことが起こるのでしよう。もはや彼・彼女の心の状態とは調和できず、それゆえに、彼・彼女の人生の中から、まるで古いが套が脱ぎ捨てられるかのようにして、それらのすべてが自然に取り払われることになります。
その者は、自身のエネルギーをさらに純粋なものにし、それにふさわしい好機の流れを手にしつづけることになり始め、自然に、その種の場所、状況には二度と戻ることができなくなります。
そして、ただ歩みを止めさえしなければ、少しずつ長い年月が自然と重ねられて流れていきます。その者は、ただただ歩みを止めませんでした、ただそれだけで、いまやその者は、自身の内側の心のエネルギーと外側の状況が完璧に美しく調和するようになり、それが目の前の世界に溢れ出るようになります、それはいつしか外側の世界への影響力と呼ばれるものに広がっていくことでしょう。
その者が話すこと、いや話さずとも、その存在で、、見よ! いくつもの人生が変化します。その者の一言一句、一瞥が多く多くの人々に、活力・エネルギー・気づき・影響を与え、彼らの変化・成長をうながしています。いまやその者は、まるで太陽のようです。その者の周囲を、無数の運命が回っています。いまやその者は、不変の人生を灯すあかりとなっています。その者自身が、若者のときに目にした、とおくにあった、その灯り。そのものに。いまや彼は、そのヒカリとひとつになったのです。
現時点の今は、そのあなたの目の前にある、ありとあらゆる状況は、これまでの、あなたが歩んできた道の途中の通過点に過ぎません。ただ、歩みを止めさえしなければ、これまであなたが辿ってきた、すべての道が、つながり、これまでのすべてを振り返り、眺め見ることのできる風景が、きっとあります。あなたは必ずそこへ辿り着けます。そして、その辿り着いた先で振り返って、はじめて「あぁ、ワタシは、こんな道を辿り、ここへ辿り着けたのか!」と、これまでのすべてに、そのつながりの意味、そのすべてに歓喜の声をあげることでしょう。
旅の途中で、見かけた本に、こんな美しい言葉が書かれていました。
あなたはいま、帳簿つけに勤しんでいるかもしれない。しかし間もなく、扉の外に足を踏み出すだろう、
あなたの理想への歩みをの外に足を踏み出すだろう。その扉は長きにわたり、あなたの理想への歩みを妨げてきた、しかし、もうすぐあなたは、その扉から足を踏み出し、聴衆の前に立つことになる。
あなたの耳には、なおもペンがはさまれており、手の指には、なおもインクが染みついているかもしれない。しかし、そのときあなたは、内側からほとばしり出る霊感のとめどない流れを体験することになるだろう。
あなたはいま、羊を追っているかもしれない。しかしあなたは、やがて町のなかへと足を踏み入れるだろう。そして、そのようすに素朴な驚きを感じつつ、聖霊の不思議な導きの流れのもと、偉大なる教師の門を叩くだろう。そして時が過ぎ、その教師は言うだろう。私に教えられることは、もう何もない。そのときら、あなたは教師となる。ほんの少し前には、羊を追いながら、すべてがより善くなるようにと夢見ていたあなたが、である。
あなたはやがて、それまで集めてきた沢山の材料を、そのノコギリとカンナを手に、自分と世界を築き始めることだろう。そして、自分と大きな世界をつなぐために、歩み始めることだろう。
~~
以上です◎
好きな文章を、アレンジしてみましたー。
アレンジして書いてみた理由は「ボク的には、もちょっと、ここをこうしたいんだよな~」ってなっちゃうからです(笑)
文章を、モグモグ咀嚼し、ゴックンと飲み込んで、自分の一部になったらいいな~と言うイメージです。
~~
お読み頂き、ありがとうございます。
拙いコトバ、失礼いたしました。
必ずしも、すべての人にとって必要で、届き、響くこととは思えませんが
お読み頂けた方については、うなづけれる範囲で、その内に思いのタネとなり響くことあればヨロコビです。
それでわ、また、ご機会あれば、どうぞよろしくお願いします。
本日も、みなさまにすべてのよいことが在り続けられます、よによに
それでわ、わでれそ~◎(^^)