ごぶさたしまうま、ヒヒ〜ン
間違いました、
ごぶさたしてます。
いのりんどうです。
あいかわらず
ボクは元気にしてます。
ときどき
モノを書きつつ
ひっそり暮らしてます。
(そっと車の中ですw)
なんとなく楽しくやってますw
https://note.com/embed/notes/n223b887789c9
さて今回から、
新シリーズを、立ち上げていきたいと思います。
(過去のものも、全然まとまってないままにw)
おどろくべきですが
文章を見て、お分かりのとおり
まだまだ人生迷走中
アタマの中が全然まとまってない、
混乱・とっちらかし系な
タワシながらに
心の整理術、的なモノを書こうと思ってます。
いや、実のところ、
書きたくなった、ということは、
ホントは自分の心を整理したいんだろうな、ということで
狙いのヒトツに
このシリーズを書いていく中で
自分も整えていこう
アタマの中の整理・断捨離し
心を整理することで
自分にとって
必要なことをあぶり出し
不要なモノは、そっとトイレに流すように
そうして
迷走(人生)を瞑想に。
変えて、昇華していこう、
と企んでいる、というワケなんです。
その過程からオープンにしつつ、
ためしてみていこう、です。
「じぶん質問✖️ジャーナリング✖️お散歩✖️瞑想」で
「心の健康・安定」を求めて的なモノ
名付けて
セルフクエスチョン・ジャーナリング・おさんぽ・瞑想、法的な、です。
(そのまんま。仮)
ちょっと、てんこ盛りすぎて、ナシゴレン(インドネシアの焼き飯)✖️天丼、くらいになっちゃいましたw
コトの発端は、
迷走しまくりの人生だったところ(今も)
さかのぼること
15年ほど前
3年ほどの海外の旅から帰国して
これから人生をとおして求めていくを考えた際
「ん〜、最終的には、心と体の健康っしょ!これが基本で大事でもっとも大切になってくるっしょ」となり
それから
心の健康と体の健康を求めて
いろんなことをしました。
んで、
「心」の健康・安定のヒトツのアプローチとして
やっぱり瞑想かなと、
ほそぼそと取り組んでいました。
しかし、その中で
悩みがありました、
実は、タワシは
長年の生活習慣・悪習慣で
ずっと姿勢が悪く
極度の内股で
股関節が歪んでいたため、
ずっと安定して座ってられなかったのです。
割と、致命的でしたw
大ショックでした、し
今もショックが続いてます。
ある程度
「あー、こういう感覚を求めていくんだろうな〜」と
ゴールのイメージをチラ見、位には、
入っていけても
それよりも、先に、なかなか進めていけない。
なんとも、歯がゆいやら、残念やら、な思いが募るばかり。
しかして、
ほそぼそ続ける中で
同時に
こうも思うようになってきました。
「瞑想って、ただ座るだけではないのでは?」と言うこと。
瞑想も、心と体が、どっちも大事。
どっちもの、それぞれの働きが、組み合わされることで
この世のすべてに作用している、止揚の法則が働くのでは?ということ
【対極のモノが存在する理由】
正反対のもの(まったく異質のもの)と
掛け合わせることで
それぞれの働きが、整い、活性化され、調和される。
それにより、
1段階、高次元の答えが、ポンっと、生まれる。
これを止揚と言う
二極のある、この世界では、
すべてにおいて、この止揚の法則が働く— いのりんどう @モノカキメモ (@inorindou2) February 26, 2023
(関連で、健康も、心と体、両方が大事では?という記事も書いてます)https://note.com/embed/notes/n17828ff9905b https://note.com/embed/notes/nea4b70096348
さて、
ここから、瞑想について、
ちょっとながながと、
「仕組み」について書かせていただきます。
少々お付き合い、お願いします。
(なぜ仕組みを長々書いたかも、下記に書いてます)
さて、
瞑想というのは
do(行い・体の状態)と
be(在り方・心の状態)のバランスが取れたときに
ヒトツ高次元の感覚を得られる、みたいなイメージを
持つようになりました。
体面、まだ出来てないながらに、
ずっと自然に整った呼吸で
単純に座り続ける、
それで、たしかに、素晴らしい感覚になるのですが
アタマの中の鎮けさは
すこしずれたところにも、あるようにも思えてきたのです。
たとえば
ずっと昔のインド人なんて
情報量は、まったく現代よりも少なかったろうし
(一説では、江戸時代の日本人では一生の情報量が、現代人の1日の情報量だとか。。って、そんなん、どうやって測るん?!笑。 真には受けれませんがw、昔とは、ものっすごく情報量は異常に違うってのは推測できますね)
んで
日常生活上、
体も整ってたろうから
しずかな、ノイズのないアタマ
+
整ったカラダ
で
高次元の状態=瞑想
ということで
圧倒的なレベル(スピードも)で
瞑想によるヨロコビに達していたのではないか?と
思うようになったのです。
比べて
近現代の社会で
日常生活を送っていると
情報量とか異常だし
PC画面ずっと見っぱなで
アタマの中で、
緊張なり、ノイズなりは、
常にビリビリ、アラーム、警報音のように
響き続けてるし
姿勢も固定されてる時間も、昔からすると異常だし
で、ヨガの先生とかで瞑想とかされてる方は
ずっとスポーツされてた方が、かなり多かったり
お坊さんとか、瞑想に適した生活を送られてるように見えますよね
とすると
要するに
前提が、全然違う!って!
そこで、
まず、準備ができてない自分は、
まず、その差は、しっかり測る、
現時点を把握し
前提を整理し、
そうすることで、自分がやれることが見えてくると思う部分もありまして
だから
ボクみたいな
そんな心身面の準備が不足してて
プラス
環境面でも、なかなか、心身に良い状況を
今すぐ作り出せない場合は、
やっぱ
まずは、できる範囲のことから
少しずつ取り組む必要があるな、と。
心面の在り方の見直しや、体の見直しも
できる範囲のことをやっていって
それぞれ、
徐々に
バランスとって
と思い巡らせたりして
瞑想をしてたりしてたところ
感覚的に、長らく瞑想に求めていた、心の感覚の答えは
「書くこと」✖️「セルフクエスチョン」にも求めることができる、
こりゃ、やっぱ強力だなーって。
しかも、
人によって(心身の準備が整ってない方)は、
通常の瞑想よりも、まずできることとして、
こちらを試すほうが、すぐに変化を感じられる方も、
向いている方も多いと思うようになりました。
というところ、
で
ここまで
長々と「仕組み」を書かせてもらっていただきました。
実は、仕組みを長く書く理由、なのですが
それは
「仕組みを知る者が、最も、それを使いこなすことができ、最も、楽しめる者である」
と言う考え方を、タワシが採用してるからです。
たとえば、
PCを最も楽しく使いこなす人って、どんな人とイメージしますか?
タワシは、それはPCのことを、最もよく理解している人、だと思うんです。
だから
瞑想を、もっとも、活かして、楽しめる、人は
瞑想の仕組みを、よく理解した人である、
(心、も、同じ、かと)
「瞑想は、やる中で、理解していけばいい、やり続ける中でしか、理解できていかない」という考えもあると思います。
たしかに、たしかに。
それがほとんど、と、ほんとにそうだよね、と
そう思う中に、
少数かもですが、
仕組み面でも、同時に、アプローチすることで、
より瞑想を楽しめる人もいるかもしれない。
仕組みを知っていると、
修正点、変更したい点を
ピンポイントで掴みやすいってのもありますし
そう思って、
長々と仕組みを書かせていただきました。
すいません。
(しかも、タワシの、こういう考え方の部分が、足並み揃ってないと、読み進めても違和感が出るだろうし、みたいな。 文章を読んでもらうことが、二人三脚みたいなものだとしたら、うまくいかないだろ、みたいな。だから、この時点で、ボクの視点や考え方に、違和感を感じられる方は、自然にふるいにかけられるだろう、ってのもあります。)
ということで
やっと前置きが終わってw
さて、
初回の今回は、
「思いつき」ジャーナリング(セルフ)セラピー
です。
★ジャーナリングとは★
“書く瞑想”
“ココロのヨガ”
“ココロの断捨離・お掃除”
いろんなスタイルがあります、よね。
・お題に沿って、内容に答えたり(制限時間内をつけたり)
・思いつきで書き連ねたり
で、
タワシのオススメのスタイル。
夜、10分ほど、時間をとる
1、日付を書く
2、中身は何でも
時間を決めず、とにかくノート1枚に、何でもいいから書く、思いついたことを書く、絵でもいいし、地図でもいいし、気になることでもいい。
1日1枚には「あ」と大きく1文字だけ書いてもいいし、「あ」と小さく500文字位でページいっぱいを埋めてみても良い(埋めたい気分だったら)
もちろん文章でも絵でもOKというスタイルです。
3、とにかく1日1枚書いたら終わり。
以上です。
【得られるモノ】
とにかく
達成感の心地よさ、
スッキリ感
あと、
ヨロコビ
さいきん、
近現代(日本病的?)社会で
日常生活で
なかなか感じにくくないですか?
情報量も多いし
息もしづらいし、、
心がザワザワするニュースばかりが多い気も、、
すぐ過敏になっちゃったり
いっぱいいっぱいになっちゃう
タワシなんて
そんなのなかなか、感じられません。
でも、まあ
それからすると
この方法って
単純で、シンプルですけど、
なんか〜
とにかく達成感があるんですよねー!
そして
1日1ページ「あ」と書き続けてみるだけでも
ノート1冊やり終わったら
また違う次元の
継続と
積み重ねが見えて
達成感の
心地よさ、
スッキリ感が
倍増!
ありますよ〜
タワシは、めっちゃ感じますし!
シンプルを突き詰めてるタワシが
オススメしてるんで、
割と、間違いなし!w
それに
最近、
大人になって特に、というか全然
日常生活中だったり、
何かにつけて
「好き勝手やっていいよ!」って言われること
あんまりなくないですか?
ここ数日思い返しても、
いや、数週間、いや、数年、いや数十年(笑)
ですから、
なんか
1ページでも
「好き勝手かいていいよ」って、ですね
意外と、思ってる以上に
割と、ケッコウ、、
響きますよ!w
大きなヨロコビ、として
おココロさんも喜んでくれますよ!
こんな文章を
長々お読みいただけるような
ステキなソウルの持ち主のアナタ様なら、なおさらかもですね!
加えて、
この方法の
違う活用のヒトツで
1ページ、誰かの悪口、めいっぱい書ってのもありで、いいかもですね!
書いて、その上で、それ真っ黒に塗ればいいんだし。
「フフフ、私は、なんて黒いココロの持ち主なんだ、」とか言いながらw
その場合のポイントは
ちゃんと1回は、おもいっきり全部書く
(ちゃんと自分の心の声を拾ってあげること)
そのうえで、「やっぱり気になるな」って言う
次に来る、心の声を拾うカタチで、
真っ黒に塗る。
その日は、1枚書いて、完結。
で、また次の日も、同じこと思って書きたくなったら
同じことをする。
たとえ同じでも、1日ごとに、声を拾う。
同じ内容だからといって、声を拾わない、ではない。
内容に意味があるというより、
その日ごとの自分の声に耳を傾けるってことが大切なことだと思うし
たとえ全く同じことを書いたにしても
一見、目には見えない
その中に、込められる思い、気、なりは、
それぞれまったく別モノで
変化のタネになりうる、と思ってるからです。
たとえば
傷の跡のかさぶたにしても
まだ、傷1日目の状態と、傷2日目の状態では
見た目同じでも
中身は、次の日同じになってるか、かさぶたになる前日かで
大きく違ってたりするだろう、とも思うからです。
そんな風な活かし方もできます〜
ということで
心の健康にも、バッチグー
実は、
このルーツは小学校の宿題。
一番、というか唯一、
宿題で、覚えてる宿題だったんですw
で、いろいろ試す中で、
「なんか、あれ(だけw)は、めっちゃ良かった気がするな〜」と
思ってやってみたら、めっちゃ良かったので。
ちなみに、
時々、この宿題が出たのですが
ひねくれ者だったタワシは、よく「あ」とだけ書いて提出してましたw
素晴らしい先生で、それにも、おっきーな花丸で「よくできました!」と書いてくださってました! やさしい女性の先生でした〜、すごい人気で、やはりその後、学校変わられて、教頭か校長にかになられておられました。
まあ、全然関係ないですがw
でも、まあ
不思議なんですが
この宿題で「あ」だけ書いてたら
子ども心にあきちゃったりしたのか
時折だんだん自然に漢字書くようになったりして
最終的に、
なぜか成績あがった記憶あるんです
なんか不思議な感覚でオモシロかったです!
オンラインor 手書き?
どちらでもOKでしょ!
個人的には、
猛スピードで、疲労満載で、世知辛い、この世の中
忙しかったり
疲れすぎたりすることも多いんで
そんな時は、
もはや、
オンラインのメモで、
日付けと、
「あ」と入力だけ
でもOKと思ってる派ですw
(例)

最近はオンラインで、優れたサービスも沢山でてますよね
noteさんでは、お題を決めてくれて楽しく気持ちよく文章が書きやすいように、とてつもない工夫がおおく丁寧につくられてますよね。
Twitter・インスタさんでも、
それぞれ特徴もあるので、
特徴を活かして
書きやすさの相性・好みも考慮して取り入れたらいい、と思います。
ちなみに
自分のオススメは「紙に手書き✖️オンライン」です。
掛け合わせ最強。
決めてないって感じです。
それぞれ、特徴・効果が異なると感じてます。
オンラインのメリットは、とにかくスピード感。
思い付いたタイミングで書ける。
脳に沸き起こったことをキャッチしやすい。
深堀に関しては、オンラインでもある程度、深堀できると思ってます。
ただ、手書きも捨て難いのは、
まったく同じことを手書きで書き直したりしてみると、
ぜんぜん別の角度や視点で、違うアイデアが思い付いたりすることも、
割と、あったりします、
これは、結構おどろいて感動モンだったりします!w
あとは、
かなしい中年の悩みも兼ねてですが
自分は、デジタル画面がオンリーだと、目も疲れるし
年で、体力や気力の衰えと、
妙に過敏なところがあるからか
長時間、画面みてると、脳にノイズが、ジリジリと、ずーっと鳴り続ける感覚もあるし
紙に触れてる時間は、オンラインから離れられる、デジタルデトックスできる、違う角度のアイデアが生まれると考えて、その点でも紙もいいなー派です。
「デジタル画面を長時間みること」は、自分が意識できるよりも何倍も、脳の筋肉を使ってると感じます。画面を見てるだけで「脳のメモリ」を大きく使っていると思ってる派ではあります。
年単位で考えると、長期的に疲労が溜まっていくようにも思うので、その点にも配慮できたらいいなーと思って〼(マス)
ということで
今回は「思いつきジャーナリング」のお話でした。
今日のところは以上です。
自分をお探し中の方だったりの一助・ヒント・お役立ちになればいいな〜と思います
長文失礼しましたー
お読みいただき、ありがとうございます
みなさま、素晴らしい1日を過ごされます、よによに
それでわ、わでれそ〜
【おまけ、ホ!】
念とは、今の心。
残念とは、今の心から見ると残りモノ。
今の心からは、はみ出たモノ
「あー、残念だったなー」と書き記すことで明らかにし、そーっと諦める。
外に話す(書きだす)ことで、放す。
これを手放す。という— いのりんどう @モノカキメモ (@inorindou2) February 24, 2023